※こちらの手記は若年性アルツハイマー型認知症患者の体験談を元に書いた、若年性アルツハイマー型認知症の理解促進を目的に書いたフィクション手記です。
はじまり
俺の名前は、麻生進。
なぜ35歳の男がいきなり日記をつけ始めようかと思ったのには理由がある。
それは、誰かに恋をしたとかときめくようなものではない。
今は付き合っている彼女もいる。
大丈夫。彼女の名前は永山美砂。職場の末吉先輩に連れて行かれた街コンで出会って以来、自然と付き合うようなカタチになった。
彼女と付き合ってから3ヶ月が過ぎ、俺も年だし、美砂も30歳と結婚適齢期なので、周りからいつ結婚するの?なんて言われる。
そりゃ、俺だって結婚したい気持ちはあるけど、先立つもの、つまり、蓄えがあまりない。
ぶっちゃけ60万くらいしか貯金が無い。
どうやら結婚する場合には、結納として彼女の家に数百万円渡したり、結婚式に何百万もかけなきゃいけないらしい。
美砂は堅実家で貯金は俺の倍以上はあるようだが、一般のOLなのでそんなに期待できない。
はー。期待できないって何だよ。
俺だって彼女に期待なんてしたくないよ。それにしても、なぜ金が増えないんだろう。
俺が就職したのは就職氷河期を抜けたくらいだったので、就職自体は何とか三流商社に入ることは出来たが、ベースアップが低すぎて、社会保険料が上がるのに相殺されて、手取りは初任給の時から2万円くらいしか変わっていない。
それなのに、新事業のプロジェクトリーダーと担ぎ上げられたのはいいが、結局責任が鬼のように増えて、さらに残業で毎日2時間残っているのに残業代は管理職なのでカット。
おいおい、これって俺の初任給と変わんねえよ!
だけど、頑張る。いつか、頑張っていれば誰かが見てくれているはずだから。
そう。俺は、未来の幸福貯金箱に徳を貯金しているんだ。
初日から話がズレっぱなしだが、俺が日記をつけ始めた理由をきちんと書こうと思う。
最初はインターネットのブログや、スマホのメモ帳に記録しようと思ったが、そういうものはいつ誰の目に触れるともわからないという所と、自分自身の手でペンを使って書き記したかったというのが本音だ。
そして、俺が日記をつけ始めた理由というのが、正直、抑えが利かなくなくなってきているという所に不安があるからだ。
抑えが利かないといってもわかりにくいのだが、小さなことでいらいらする事が多くなった。
入社した時からの上司の中川弘一課長50歳が、メガネの奥の爬虫類のような目を俺に向けて
「この前の数字は良かったが、俺に恥をかかせるような仕事をするなよ」
と一度もまともなアドバイスも仕事もしたことがない中山の悪意というか妬みのこもった言葉にキレてしまったようだ。
「一度も現場で結果を出したことが無い無能が、嫌味を言ってモチベーションを下げるのが貴様の管理指導か?
目標数値と実績の開きを差し引いて、下がっているから何とかしろ何て小学生でも言えるんだよ!」
と他の部下がいる中、啖呵を切ってしまったらしい。
中川課長は顔が怒りの赤からだんだん、真っ青になり、口をわなわなさせながら
「上司に対する言葉遣いか、それが!!」と反撃に出た。
だが、俺も負けずに
「上司なら上司らしく的確なアドバイスやモチベーションを上げるような言葉遣いをされるべきじゃないんですか!!」
と言い返したようだ。
末吉先輩は「お前、半沢直樹みたいだったよ」と茶化したけれど、その後に「お前らしくないな」と言っていた。
正直、なぜ自分がこんないつもの中川課長の嫌味を聞き流せなかったのか、自分自身を理解できずにいた。
いや、そこまでなら、何とかいいと思うんだ。
人間関係にヒビが入って出世に影響するという所はちょっとしたダメージだが、まだ挽回を余裕で出来るって思うじゃないか。
だけど、今回は挽回できるかどうか、不安がある。
だからこそ、自分自身と正直に向き合いたいと思って、言葉にしたくないことだが、誰にも見られないので書こうと思う。
「俺が怒った事は、本当に現実なのか?」
カテゴリ:若年性アルツハイマー患者の日記 [コメント:0]
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