今日はセントラル病院でもの忘れ外来に行った。
行くまでの道のりで付き添ってくれた美砂に
「ごめんな。認知症の受診に付き添ってもらうって年寄りみたいな事させちゃって」というと、
「未来の旦那さんの為だもん。気にしないで」
そんな返事に、いつもは感じない温かさを感じる。
もし、俺が認知症という診断が下りたとしても、彼女は寄り添ってくれるのかな。
まだ子供もいないし、まして結婚もしていないので別れた方が彼女にとってはいいんじゃないか?
なんてセンチメンタルな事を思いながら、何というか、もの忘れ外来に行く事が非常に悲しく、惨めな気持ちで歩いていった。
何だか病院の検査って、死刑宣告を自ら受けに行くのと似ている。
そして、その死刑宣告セントラル病院について検査をした。
検査といっても、大げさな機器を使うわけじゃなく、問診が主で、
「自分でもの忘れを感じることはありますか?」
「親族の方に認知症の方はいらっしゃいますか?」
といった、俺の感じる認知症の症状や周りから指摘されたことが無いか、
また、血縁関係者からの遺伝性があるかどうかを調べたかったのかと思う。
正直、検査の途中で時間の無駄だし馬鹿らしいので帰りたいと伝えた。
普通はこんな事は心で思っても相手に伝えたりはしないのだが、俺の本心がそうさせたのだろうか。
美砂に「帰るなんて言わずにちゃんと言われるとおりにしなきゃだめ」と言われたので最期まで受けたのだが、俺はなんというか、きちんとした検査がしたかった訳なんだよ。
身体をスキャンして脳に異常が無いかどうか、そうそう、CTやMRIといった最先端機器でやって、スパッと診断を行って欲しかったのに、何でこんな遠回りをさせるようなことをするのかが理解できない。
きっと病院も診療報酬の引き下げとかで、お金が無いから無理に診療を増やしているんじゃないかと変に勘ぐってしまう。
また行かなきゃいけないのか・・・。
まあ、次回はきちんとした測定をしてくれるみたいなので気を取り直していこうかと思う。
カテゴリ:若年性アルツハイマー患者の日記 [コメント:0]
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